2010年04月04日

「夏 情熱の大阪・・」07.7【大阪城探訪記】

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絶景かな大阪 そのB 大阪城探訪記
〜大阪城内 見て歩き 波乱万丈の歴史を想う〜

 新鴫野橋を渡って本格的に大阪城の内側を目指す。橋の上から、ちょうど出航してきた大阪水上バス「アクアライナー」が通りかかる。
 この「アクアライナー」からの大阪の眺めも「絶景」です。是非一度、お試しあれ。

 橋を渡り終えて時計を見ると12時30分だ。歩き始めてから一時間半ほど経っている。小休止を、と考えたら何という偶然か。
 目の前に売店があるではないか。店を覗くと色々なメニューがある。
 焼きそば400円を注文し、自販機でスポーツドリンクを購入する。
 待つ事約4分。焼きそばが出来上がる。
 近くのベンチ代わりの大きな石に腰を掛けて食べ始める。
 豚肉もキャベツも沢山入っていて味付けも良い。東京なら500円以上は間違いなく取る一品だと思われる。
 
 この売店の近くには大阪城ホールや野球場などもあり、元気な子供達の声が聞えてくる。その家族や若いグループも、この売店の近くで小休止している。
 私の近くにも御揃いの青いユニフォームを着た家族連れが、やはり大きな石に腰を下ろしうどんを家族みんなで食べている。
 祝日の昼下がりの大変に微笑ましい光景。
 かつては血生臭い戦場となった場所が、時が変われば平和な場所となる。
 時の流れの素晴らしさと恐ろしさ。平和を守る人々に感謝多謝。

 しばし休憩し、よしっと気合を入れて推定重量10kgの黒くて重いリュックを背負い歩き始める。
 
 青屋門を潜ると、木々の上に大阪城天守閣が頭を出している。
 「ようこそいらっしゃいました」と出迎えてくれているようで思わずカメラのシャッターをパチリ。

 そして大阪城梅林を左に見つつ上りとなっている道を歩いて行く。
 この頃になると空模様は雲が取れてきて、陽射しが容赦なく照り付けてくる。本日の天気予報によると大阪の日中の最高温度は三十℃。
 予報は当った。とにかく暑い。汗が滝のように流れていく。
 たちまちTシャツは汗だくでびしょびしょになる。
 
 それでも辛くはない。それは歩いていると楽しいからだろうと思う。
 目に入るもの全てが刺激的で自分のいささか回転の悪い脳を活性化させるものが大阪にはあるから。眠っていた探究心が起き上がってくるのがわかるから。

 そして、いよいよ大阪城天守閣の下まで行く事になる。


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【写真説明】
一枚目:新鴫野橋からOBPを撮る。第二寝屋川には、これから「絶景なる大阪」を見に行く大阪水上バス・アクアライナーが。(写真欠落)

二枚目:青屋門を潜り抜けると目の前には大阪城天守閣が。
     「ようこそ、いらっしゃいました」(写真欠落)

三枚目・・大阪城梅林脇の道を上がって一番上に来てから振り返って見えた「絶景かな大阪」なOBPの姿。(表示写真)

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【写真説明】
一枚目・・大阪建物三世代
      大阪城天守閣(初代) 1583年 完成
      旧軍第四師団司令部  1931年 完成
      クリスタルタワー   1990年 完成

二枚目・・旧軍第四師団司令部跡

三枚目・・大阪城天守閣

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 汗をかきつつ桜門を潜り、いよいよ「大阪城本丸」に入る。
 桜門の真正面に石垣を構成する巨石が。

 進んでいくと茶色の古い荘厳な作りの建物が。これは旧軍が大阪城に置いていた陸軍第四師団の司令部の建物で、戦後は博物館として生まれ変わり、今は特に使用されていない建物である。
 頑丈な作りであって、太平洋戦争での空襲にも耐えぬいた建物でもある。

 そして歩を進めると大阪城天守閣が目の前に。

 1989年(平成元年)に来て以来、18年ぶりの大阪城天守閣である。
 平成の大改修を行った天守閣は綺麗で光り輝いていた。
 相変わらず多数の人が訪ねているようだ。すれ違う人の話している言葉を聞いていると地元の方以外にも、関東や九州の人達も多数来ているようだ。
 本当は天守閣に登ってみたかったが、なにしろ背中には三日間の荷物が入った重たく膨らんだリュックが。こんなものを背負って決して広いとは言えない天守閣内に入っては迷惑というもの。
 また来る事も出来るさ、と考えて登る事は断念して引き返す事とする。

 それにしても暑い。汗が止まらん。持ってきたハンカチやフェイスタオルは既に使い切ってしまった。ズボンのポケットに入っているフェイスタオルは汗を吸い尽くし、もはやタオルとして用を成さない。

 タオルはないか、その一心で売店に入る。
 あった、御土産としてだが一枚350円で売っていた。
 しかし、そこに書かれていた文字を見て少し考えてしまった。
 「好きやねん 大阪」「しばいたろうか」の二種類しかない。
 もっと綺麗な大阪の言葉をデザイン出来ないだろうか。
 これでは大阪のイメージが良くならないような気がするのですが・・・。

 まあ、とにかくタオルが必要だ。二枚買い求め700円を払って売店を出る。
 
 そして、次に向かったのが豊国神社。
 太閤殿下 秀吉公を祀ってある神社である。

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【写真説明】
一枚目・・豊国神社鳥居
二枚目・・豊臣秀吉公像
三枚目・・豊国神社本殿

 桜門を再び潜り抜け、次に向かったのが豊国神社。
 古来より都として度々名前が出てくる大阪だが、大都会・大阪を決定付ける大開発を行ったのは秀吉公では、と私は思っている。
 
 実質的には秀吉の一代で栄光を極め、そして没落してしまったが、その果たした功績は計り知れない。

 一般市民から武器を取り上げた「刀狩」。これは日本の歴史上トップ3に入る「善政」ではなかったか。 
 一般社会に鉄砲などの殺傷力が高い武器が無い事が、どれだけ日本社会の安定と発展に寄与しただろうかと思うのだ。
 また「太閤検地」も然り。多くの大名が自分の領地で検地は行い、織田信長も全国的な検地に取り掛かっていたが志半ばで倒れた。
 日本全国統一の基準で検地を行った事が、のちに日本社会に統一されたあらゆる計量基準が根付く下地となり、正確な計量が社会の発展の為に及ぼした影響は計り知れないと、これまた思うのだ。

 まあ、ここで私の個人的な歴史解釈を続けても仕方がないので本題に戻ります。

 大阪城の賑わいと比べて、豊国神社は落ち着いた感じでした。
 鳥居を潜ると、目の前には豊臣秀吉公の像が。 
 この像は、昭和18年に金属供出に出されて無くなってしまって以来の二代目で、つい最近完成したものである。

 玉石を「ジャリジャリ」と踏んで象の前に。軽く会釈をして本殿に。
 3人ほどのグループがお参りをしている。
 私も、神道形式にてお参りを。
 私の後にも二人連れが来て、お参りをしていった。

 今、大阪ではかつてあったものが次々と復活している。
 上方落語の定席・天満天神繁盛亭や、この豊国神社の豊臣秀吉公像など。
 
 あるべきものが無かった大阪で、あるべきものが出来つつあるのは大阪が真の姿を取り戻しつつある証拠ではないだろうか。
 それは今の大阪経済の好調などにも関係しているのでは、とも思うのである。


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【写真説明】
一枚目・・大手門から撮影。大阪府警本部とNHK大阪放送局。
二枚目・・大阪府庁
三枚目・・大阪城の堀と石垣と大阪ビジネスパーク

 豊国神社を出て、次に向かったのが大手門。
 途中の修道館では、若い学生さん達が体育会系の大会を行っているのか大変に賑やかで甲高い声が外まで聞えてくる。
 私も高校の時の部活動を思い出す。こんな暑い日でも、10km位は楽に走っていたな。それが今では、歩いて5kmもキツイ。
 年は取りたくないものです。

 西の丸庭園を右に見つつ、歩を進める。そして大手門へ。

 大手門から出て見ると、そこからの眺めはなかなかのもである。
 大手門まではなだらかな上り坂になっていて少し高い位置からの景色である。

 そして大手門前のなだらかな上り坂を下っていき、西外堀沿いに歩いていく。右には大阪城天守閣。左には大阪府庁。
 大阪を治める組織の象徴的な建物がお堀を挟んで対峙し存在する。
 これも大阪の悠々たる歴史の流れの証拠であろうか。

 そして見えてきたのが大阪ビジネスパーク。
 いつでも何処からでも綺麗な大阪ビジネスパーク。
 21世紀の大阪城ではないだろうか。

そして次に向かったのが、あまり知られていない場所です。
 
 大阪城が今のように大阪の象徴として誰でも気軽に訪れる事が出来なかった時代。
 大阪城に今のように観光客が気軽には来れなかった時代。

 その時代にあった施設の名残です。

 その施設の名は「大阪砲兵工廠」。
 かつて「東洋一の砲兵工廠」と言われ、陸軍向けに大砲を作っていた工場。
 第二次大戦で米軍の重要目標とされ徹底的な空爆を受け、その執拗さは終戦前日の8月14日に大規模な爆撃を行った事からもわかる。
 その時の空襲の巻き添えを受けて、当時の国鉄・京橋駅も被災。
 数百人が亡くなるという痛ましい出来事もあったといいます。
 
 今も当時の建物が一部、残っている事を知って見てみようと思ったのです。

 行ってみると、まず砲兵工廠があった事を示す石碑が。
 そして、恐らく衛兵詰所と思われる建物。
 一番大きな建物は、化学分析場として使われ、戦後は自衛隊が大阪地方の連絡部として使用していたようです。
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 写真では判りづらいかもしれませんが、正直荒れるに任せる、といった状況でした。あと何年間、この姿を保てるだろうか。そう思わざるを得ない。

 何故、このような歴史的価値・学術的価値が高いものをしっかりと保存しようとしないのだろうか。私には理解出来ない。

 戦争に関係するものだから?
 それを言ったら、大阪城だって戦国時代の戦争の為の施設でもあった。
 「大阪城」が未来永劫保存する価値があって、「大阪砲兵工廠」にはその価値が無いというのは矛盾してないだろうか。

 長い歴史を誇る大阪だからこそ、どんな些細な歴史上のものは大事にして頂きたいと思います。
 文化的なもの・歴史的なものを大事にし育んでいく事は、もっとも『大阪らしい』と思うから。


大阪砲兵工廠の建物を撮っている時に、金網越しに猫が。
私が携帯カメラを構えると、こっちを振り返り、しばし睨み合い。
 そして私は、シャッターを静かに押した。

 今回、生まれて初めて大阪城周辺と城中を、じっくりと歩いてみました。
 最初に大阪城を訪ねた時は、まだ15歳の子供で、しかも一人旅行という事もあって大阪城天守閣しか見ていなかった。天守閣の上からのツインタワーが印象に残っています。

 大阪城は、その誕生から今までが本当に‘‘波乱万丈’’という言葉が似合う城だと思う。政治に翻弄され、戦争に踏みにじられた。

 また逆に、大阪の誇りとして大阪人の意地を示すシンボルでもあろうかと思う。

 昭和6年の大阪城天守閣の再建には、当時の大阪市民・大阪府民から極めて多額の募金が集まったという。
 「土の誇りを取り戻したい」という熱意と、「儲けたら社会に還元する」という大阪に脈々と受け続けられてきた極めて健全な、そして今の時代にこそ必要な大阪財界の誇り。

 大阪砲兵工廠の跡地を再開発するにあたり、ただ単にビルを無秩序に建てるのではなく、周りとの調和を考えてビルの高さを制限し、ビルの向きを統一しオフィス機能のみならず休日でも賑わいが出るように考えられた施設の数々。
 こういった事に、私は大阪の街に根付く
「理路整然と街を作る(御堂筋が良い例)」
  「一生懸命に真面目に物事に取り組む」

という気風を感じるのです。

 改善が必要な事もある。整備が必要な事もある。
 でも日本広しと言えども、これほど楽しい美しい城はないのでは。
 
 いつまでも大阪の誇りであってほしい大阪城でありました。



posted by 松村和弘 at 11:25| Comment(0) | 上阪感想記:1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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