2010年04月07日

07年秋 芸術の秋 歴史の秋 散策の秋【悲しみの・・・】

特別タイトル「悲しみの・・・」

 三光神社を後にした私は、北側の階段を下り公園を横切り次の目的地・円珠庵(えんじゅあん、と読みます)を目指した。
 公園を横切り終わり、何気なく左を見ると緩やかなスロープの上に鉄の門が閉まっているが、通用口が開きっ放しになっている。
 「何があるのだろう?」と思い近づくと、特に立ち入りが制限がされているようでもないので通用口を潜り中へ入って、二歩三歩近づいてハッと足が止まった。
 
 私の目に飛び込んできたのは、ずらりと等間隔で整然と並ぶ御墓。
 それも何十年も風雪に晒されてきた事が一目で判るほどの古いものだ。
 どの墓の前にも一輪の花も無く、一本の線香もありはしない。
 普通の墓地には無い、ある種の異常な雰囲気に恐る恐る近づいて墓石に書いてある文字を読むと、「陸軍第何十歩兵連隊 誰の誰兵衛」「陸軍第何十航空連隊誰の誰兵衛」とある。
 
 これはと思い手元の地図を見ると、そこには「旧真田山 陸軍墓地」との文字が。ここは陸軍の軍人さんの墓地だったのか・・・。
 愕然として歩いて行くと、ずっと続く墓の列。
 ごく一部に新しい墓があるが、ほとんどは苔むして書かれている名前さえも読めなくなっている。
 どれだけ歩いても普通の墓地なら漂ってくる線香の匂いがしない。
 目に飛び込んでくる花の鮮やかな色も無い。
 
 歩いていくと注意書きがあり「お花とお線香は御遠慮下さい」との文字が。
 そうか、管理が難しいから、どのお墓にもお花もお線香も無いのだろう。
 
 しかし、それを差し引いてもこの寂しさはなんだろうか。
 日曜日のお昼前だというのに私以外には年配の方が3名ほどいらっしゃるだけ。それ以外には墓参の人の姿は見当たらない。

 奥の方まで来ると納骨堂があった。
 その前にある案内版を見ると、ここは西南の役からの戦死した陸軍の軍人さんの為の墓地として国が整備。
 日本陸軍軍人さん以外にも清国やドイツの方々も十人ほど永眠しているとある。
 そして、この納骨堂を含めて四万三千柱もの英霊が眠りについているとも。

 手を合わせて頭を垂れてから、この墓地を後にする。
 しかし、心の中は晴れなかった。複雑な気持ちだった。

 墓地と追悼施設では性格が違うから同列には論じる事は出来ないが、靖国神社との、あまりの差に頭がついていかないのだ。
 一方は祈りを捧げる人が絶えないのに、一方は祈りを捧げる人が誰もいない。
 きっと、この墓地にお墓がある人は生まれ故郷に親族の方が墓参りに来る墓が別にあるのだろう。
 ここは国の墓であって生まれ故郷から遠いから親族の方は来れないだけなのだろう。
 きっとそうだ。そうに違いない。

 そうでなければ、あまりに寂しい。悲しいではないか。
 戦争という日常とは正反対の極致の戦争に行って苦しんで死んで、ようやく安らかな眠りについたのに誰にも省みられないなんて。
 誰からも忘れ去られたなんて、あまりにも虚しいではないか。

 どういう形で英霊を慰めるかは人それぞれ考えがあるから、こうあるべし、などと書くつもりはない。
 しかし、近くにお住まいの方には納骨堂に手を一生に一回でもいいから手を合わせて欲しいと思うのである。

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旧真田山陸軍墓地を後にして次に向かうは円珠庵。
 こちらも歴史があり、契沖の墓があり1922年(大正11年)に大阪市では最初に国指定史跡となったとある。
 境内は撮影禁止であり、想像よりは狭いが見学して後にする。

 次に向かうは井原西鶴墓。
 城南寺町を歩いていくが、右を見ても左を見てもお寺さん。
 歩いていると自分が今、大都市・大阪を歩いている事が判らなくなってくる。かすかに耳に届く車がひっきりなしに走る音が大都会の証であろうか。
 
 しかし、歩いていて気持ちが良い場所だ。心安らぐ場所だ。
 上町筋に向かって歩いて行くと前に、建設途中の超高層マンションが見えてくる。それ以外にもマンションが結構な数がある。

 なるほど、これが噂に聞く上本町界隈なのか。
 落ち着いた雰囲気、多くの学校があって大阪市屈指の文教地区として大変に人気があると聞く。
 確かに、こういう雰囲気のある街は生活するのに良い環境だ。
 賑わい過ぎず、寂しい感じもせず通勤通学に至便であれば人気が出て当然でしょうね。
014s.jpg

 上本町五丁目信号を渡って東平一丁目にある井原西鶴墓を目指す。

 ところが、これが地図にはあるのが判るが、実際に何処にあるのかが非常に判りづらい。
 東平一丁目を、ぐるっと一周してようやく見つけた。
 お寺さんの中に入って行こうとすると中から年の頃60歳後半のおじさんが出て来て、私を見るなり「西鶴さんですか?」と一言。
 明らかに地元の方である。
 思わず「えっ、えぇ。」と答えると「墓地の中に入って真っ直ぐに行った処にありますよ。」とおじさん。

 これ、これなんですよ大阪へ来て凄いな、大阪の人は暖かいなと感じるのは。
 大阪の人は、押し付けるでなく、それでいて妙に遜るでなく、本当に自然に人への親切を行なえる。
 実に清々しい大阪の人との触れ合い。これが体験したくで大阪へ来たくなる、という事も私にはあるのです。

 「恐縮です。」と一礼して、おじさんと別れて井原西鶴墓へ。
 それは誰もが知っている人のお墓なのに、そこにひっそりとあった。
 一般の方々のお墓の中に一緒にあった。

 手を合わせて後にする。

 そして考えてしまった。
 
 何で、こんなにも判りづらいのか。
 何で、こんなに有名な人のお墓なのに案内の看板の一つも出てないのか。

 そして今、私の頭の中には一つの答えがある。
 それは私なりに大阪の人達の尊ぶべき考えに基づくのではないか、と結論が出たのである。



posted by 松村和弘 at 16:10| Comment(0) | 上阪感想記:1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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