2010年04月07日

07年秋 芸術の秋 歴史の秋 散策の秋【更なる考察】

特別タイトル 「アケスケ大阪・アカラサマ京都 更なる考察」

 私は以前、大阪が好きな理由を大阪と京都の両都市における神社仏閣のあり方を通じて論じた事がありました。
 今回は「井原西鶴墓は何故、こんなにも判りにくいのか?」これを通じて私が考える大阪に恐らく有るであろう「大阪の精神」を書きたいと思います。

 まず、いきなりですが結論から、
「大阪の人達は信心深く、その信心の為の神社仏閣で金儲けをする事を潔しとしないのではないか。」という事。

 今まで何回も大阪に来て多数の神社仏閣を見てみて感心するのは、どの神社仏閣も綺麗で掃除が行き届いている事。
 そして、そこには生活の臭いがするのです。

 万事金が掛かる世知辛い世の中、神社仏閣とて金とは無縁ではいられない。
 綺麗に整備するにも、掃除を綺麗にするにも何かと金が掛かる。
 
 私が大阪の神社仏閣を見ていて、まず不思議に思うのは街中にある多くの神社仏閣には京都のように観光客が押し寄せる事は無く、有名どころでもそこに来ている観光客の数は少なかった。
 
 京都のように観光客が押し寄せていれば、そこからのお金で整備したり掃除したり出来る。でも大阪の神社仏閣は観光客からの収入は恐らく著しく少ないだろうと想像出来る。
 では、大阪の神社仏閣は何処から収入を得ているのか。
 それは地元の方々のお賽銭や檀家からの寄付、そしてボランティアによる労働力の提供が大阪の神社仏閣を支えているのではないだろうか。

 大阪の神社仏閣を訪ねると必ず、二軒周ると一回は地元の方に出会う。
 それはおじさん・おばさんだけではなく若い方もいらっしゃる。
 一見すると俗に言うヤンキーみたいな若者がお祈りしてたりする。
 神社仏閣にある石碑や門柱などには寄進した企業。個人名がびっしりと掘られている。
 こういった地元の方に大阪の神社仏閣は支えられている。
 そういった神社仏閣のあり方は非常に健全で好ましい姿だと私は思う。
 それ故に神社仏閣は地元の為だという「アケスケな大阪」を好きなのだ。
 
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しかし、一方ではこうも考えていた。
「京都のように神社仏閣も観光資源化して金儲けをすれば大阪も潤うし神社仏閣の維持も楽になるのに」と。

しかし、それは間違いだったのだ。大阪の方が正しかったのだ。
 それを井原西鶴墓を見て、そう思った。

 井原西鶴墓は、実は一般の方々のお墓がある墓地の奥の方にある。
 一般の方々のお墓の前を通って見に行く事になる。

 もし観光資源化を目指し、ガイドブックに載せまくり行きやすくする為に案内表示を出しまくり大型観光バスが乗りつけられるように駐車場を整備したらどうなるか。
 大挙して観光客が押し寄せるだろう。そしてお金も落ちるだろう。

 でも、それは一般のお墓がある墓地に人が溢れかえる事になり一般の方の永眠を妨げる事になる。親族も墓参に来づらくなる。
 それはお寺さんとしてあるべき姿ではないのだ。

 他の神社仏閣でもそうだ。古都・大阪らしく著名人のお墓が多くにある。
 でも、その多くは、まるでお墓がある事を隠すかのように案内の一つも無い事が多いのだ。

 私は思う。信心深い大阪の人は神社仏閣で稼ぐ事を潔しとしないのでは。
 私は思う。信心深い大阪の人は永眠を妨げてる程に人が神社仏閣に来る事を神様仏様に申し訳ないと思っているのでは。

 そう考えると多くの謎が解ける。
 井原西鶴墓が判りづらいのも、大阪の神社仏閣が商売気がまるでないのも、来たい人は自分で調べて下さいとでも言いたげな素っ気の無さも、それは、大阪の人達の良心が、神様仏様を大事に思う心がそうさているのでは、と私は思うのである。
 そして、そういう大阪の姿を私は好きなのである。

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さて、ここからは元に戻って散策記に戻りましょうか。

 井原西鶴墓を後にして、次に訪ねたのが本町西にある焼肉屋さん。
 ここで昼食としてビビンバと冷麺のセット千円也を食す。
 大阪での御飯という事で、当然の事ながら美味しい。
 ここまで歩き続けていたので非常にありがたい昼休みとなる。

 一服した後に、向かうは近松門左衛門墓。谷町筋沿いにあると書いてある。
 谷町8丁目のガソリンスタンドとマンションの間の狭い路地の奥にあった。
 何で、このような場所にあるのかと驚くような場所ではある。
 後で調べてみると、元はお寺の境内にあったらしい。
 昭和の時代になって谷町筋の拡張に際し、お寺は移転してしまう。
 しかし近松門左衛門墓は国史跡となっていて現地保存が義務付けられていて移転が出来なかったという。
 これも大都市・大阪ならではの宿命というものか。
 私がお墓を見ようと近づくのと同時にサイクリングの途中の人も自転車を降りて近づく。一瞬どうしようかと思ったが、私の方が近くにいたので先に近松墓に参る。
 大文豪とも言える人のお墓にしては、やはり寂しい場所にある。
 しかし、私のような人間や地元の方も足音が絶えずに墓参に来ているようだから、少しは寂しさは紛れるでしょうか。

 次に向かうは名所旧跡ではなく現役の建物。
 この旅行の一寸前にMBSのホームページを見ていて目に止まった団地・松屋町筋沿いにある「瓦屋町団地」。
 VOICEの特集で取り上げられた名団地の栄えある一位となった団地。
 何でも外から見るとオフィスビルにしか見えないという団地だそうだ。

 実際に行って通り沿いに見てみると、それらしきビルがある。
 本当にオフィスビルにしか見えないのだが・・・。
 1階にスーパーマーケットが入居。外壁には会社の看板が取り付けられている。そして団地に付物のバルコニーが一つも外に出ていない。
 本当に、これが団地なのか?と裏に回って通用口のような所に入って行くと『UR賃貸』の看板が。
 あっ、これだ。とても団地には見えない摩訶不思議な建物でした。

 最後に向かうは高津宮。
 前に行った事もあるが、この散策の最後を飾るには相応しい場所でもある。
 
 前回は高津一丁目の低地の方から入っていったが、今回は瓦屋町3丁目の高台の方から入って行く。
 この階段、北側と南側とに分かれていて、この両方から男女が同時に登って真ん中で出会うと両思いになれると案内板にある。
 今度、来る時には是非意中の女性と来たいものだ。

 階段を登りきって上がると、前回と同じような安らぎに満ちた境内。
 数人の人がお参りに来ている。
 う〜ん、やっぱりここは良い。何とも言えない落ち着きがある。
 何時間でも居たいと思う雰囲気がある。
 お参りして後にする。階段を下りて前回は来る時に通った緑に覆われた参道を、今回は帰る為に通る。

 時計を見ると午後一時。午前8時から、ほぼ歩き通しだった足は悲鳴を上げている。一旦ホテルに戻って休むとするか。

 いや〜、今回も歩いた歩いた。満足満足お腹いっぱいである。
 そして私は千日前通に出てタクシーを拾ってホテルまで向かった。

 長々と続いた『大阪城から上本町、名所旧跡巡り体験記』は、これで終わりとします。

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※編注:今回適当な写真がありませんでした。4月7日本日の天気がよくありません。昼前から越中井や玉造稲荷神社あたりを撮影しに行ったのですが、日の差さない曇り空で、満開ピークの桜もよくありませんでした。何より真田山付近や高津宮など、以前撮影した写真はPCの故障によって紛失、離散していました。
小室さんの編集によって、原稿の流出が防げただけでも救われる思いです。感謝いたします。(サイト編集・松村)


posted by 松村和弘 at 16:32| Comment(0) | 上阪感想記:1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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