2010年04月20日

◇大阪都構想への道のり:都市神殿論

「大阪都構想への道のり」と題して、私の大阪研究の道のりを書くことにしたい。「大阪を発展させるためには、どうすればいいのか?」・・・
私は長年、このテーマを追求してきた。
詳しくは後に譲るが、じつは20年程前には、その結論は出ていた。
結論とは、橋下知事の「大阪都構想」とまったく同じ内容である。この内容はいずれ書籍化したいと考えていたものの、本にしてくれる出版社もないまま、時間が経過していった。
私は21世紀を目前にして、いつまでの命かもしれないので、自費出版を決意し、原稿を書き始めた。馴れない草稿には苦労したが、まとめて原稿を印刷会社に持ち込んだ。様々な指示をして書誌の完成を待った。内容は大阪都構想の他にも思うことも加えた。やはりへそ曲がり論説になった。カラー写真も入れたので、ビル街の写真集のようにもなった。
私の著書は「大阪は首都を超えるか」のタイトルにした。(在庫はあるが、現在書店での販売はしていません)
2001年11月完成、とりあえず少数の書店でも販売してもらった。最も売れたのは梅田旭屋本店の鉄道書籍売場で、200冊くらい売れたと記憶する。

私はかなり以前から、大阪を知るための研究はしていた。本などで知識を広め、テレビもためになる番組があると、VTRに録画していた。古いVTRは30年前くらいからある。
同時に大阪の街の現状を見て回っていた。
研究はもっぱら都市論であるが、ときに交通論、盛り場論、田園都市論、大阪の研究は歯がゆいけれども面白い。つねに東京との対比で語られるから、昔から大阪論はネガティブ思考が付きまとっていた。

あるとき、たしか昭和50年過ぎだったと思うが、MBS毎日放送の深夜のテレビ番組で、「関西論 歴史から未来へ」と題した番組が放送された。これは毎日放送開局25周年だかの記念シンポジウムで、千里丘・ミリカホールで録画収録したものを編集のうえ深夜2時間程度で連続に放送された。そうそうたる論客の顔が並んでいた。私はほとんどの内容を録画していた。
基調講演は国立民族学博物館館長、梅棹忠夫さんの「都市神殿論以後」・・・
進行は東大教授の公文俊平。あとは大阪大学教授、作道洋太郎。建築家、上田篤。関西大学教授、谷沢永一。作家、小松左京。作家、堺屋太一など。
(このシンポジウムの内容は速記をもとに、後に書籍化し出版された。「大阪−歴史を未来へ」と改題して、昭和58年初版発行、出版元、潮出版社)。定価:1,200円
001s.jpg



梅棹忠夫の基調講演は凄かった。衝撃だった。氏は以前から都市神殿論を提唱しているとのことだった。その神殿論の説明とそれ以後の都市についての考えをまとめて講演したのだった。内容は「都市とは、何か!」
この内容は、その後の「大阪21世紀計画」推進の思想的支柱になっている。
梅棹忠夫氏を知る人なら分かると思うが、「知的生産の技術」をはじめ多数の著書があるが、どれもこれも究極のへそ曲がり論であり、しかも正論。それもそのはずで、氏は「世の中で誰か一人でも考えたことなら、その論説は発表しない」と述べている。私もへそ曲がりは人後に落ちないので、この講演は衝撃と同時に共感を呼ぶものだった。あまり一般的な考えではないが、自分の深層心理が浮かび上がるような内容だった。

ズバリ、都市とは何か!に対する講演内容とは?
とくに重要な神殿論の論旨は2点ある。
都市の本質に迫ることだが、古代の都市の研究や遺跡発掘の結果から見ても、都市の本質は住居ではない。神殿であり、あるいはモニュメントであり、人を集め情報交換の場が都市であり都市神殿論になる。住居が集って都市に発展するという考え方は間違いではないか?
住居はいくら集っても、それは都市になりえない、集落にしかならない。
一方、集落では生産活動が起こり始める。農業生産や工房、小規模な工業など。これも極めて非都市的な性格であり、都市は生産活動を伴わないものとした。都市の本質は情報交換の場所であるべきと説明した。
今から約30年前、当時の大阪の状況は人口のドーナツ化が進行し、通勤圏が広がり、都心に近いところは人口減少が続いていた。大阪の現象は都市の本質を現していると。
つまり、都市とは?「工場がない」こと。「人が住んでいない」こと。これが本質であり、都市神殿論の論旨であった。
当時の、2〜30年の大阪の動きをそう表現し、氏は続けた。
「大阪はかつて、日本で最初に首都が置かれた都市」であり、「日本で最も古い都市だ」と強調した。(私は「大阪は日本最初の首都」はテレビでこのとき初めて聞いた)・・・
氏は「大阪は日本最初の首都」をテレビで公言してはばからなかった。

大阪は江戸時代、商業都市であったのだが、近代以後になって急速に工業都市になっていった。工業都市は発展の可能性があるのか?これに疑問を持っているという。
商業は情報交換を伴うもので、これは都市の本質であるが、工業というのは??
工業は?本質的には農業と同じではないのか?
つまり、大阪は近代になって都市の中に工場がたくさんできた。工場とは生産の場であり、田んぼも生産の場である。工場を造るということは、都市の中に田んぼを造るということと同じだ。大阪はいっぱい都市の中に田んぼを造った。この100年あまり、大阪は非都市の方向に、都市と違う方向に暴走したのではないか?
大阪は都市について、もう一度よく考えなおしてみる必要があるのではないいか?

これが都市神殿論の内容だった。
※梅棹忠夫:戦後の日本に多くの影響を及ぼした人物で学界の大物実力者である。
1920年京都生まれ、大阪市立大学助教授で大阪赴任以後、いつしか大阪と深く関わり、大阪の歯車として大阪の発展に尽力。氏と大阪の関係は非常に深いがネット上に手がかりはない。
著書はウィキペディアに一覧があるが「大阪、歴史を未来へ」は欠落している。
詳しくはウィキペディアも見てもらうといい。
略歴
京都府立京都第一中学校卒業
第三高等学校卒業
1943年9月 京都帝国大学理学部動物学科卒業
1945年 西北研究所嘱託
1949年4月 大阪市立大学理工学部助教授(1959年に理学部と工学部に分離)
1955年 京都大学カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊員
1957年 大阪市立大学東南アジア学術調査隊長
1963年 京都大学アフリカ学術調査隊員
1965年8月 京都大学人文科学研究所助教授
1969年4月 京都大学人文科学研究所教授
1973年 国立民族学博物館創設準備室長
1974年6月 国立民族学博物館館長(初代)
1986年3月 ほぼ失明状態となる
1988年3月 京都大学人文科学研究所名誉所員 
1993年4月 国立民族学博物館顧問、名誉教授 総合研究大学院大学名誉教授
1996年1月 京都大学名誉教授。


posted by 松村和弘 at 17:09| Comment(0) | 大阪都構想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。