2010年05月03日

08年6月・雨に煙る大阪もまた良し【寺内町3】

「良き街、良き人、寺内町」 その3

 その杉山家住宅、見学しての感想は「スゲェ」の一言。
 
 昔の豪商とは凄いものですね。
 そして金の使い方が今の成金などとは違う。
 ちょっと前、世間を賑わせたペテン師的なIT社長などとは格が違い過ぎますな。

 柱の一本一本の造作、欄間の見事さ、仏間の素晴らしさ、何を取っても金の掛け方・手間暇の掛け方が今の時代では考えられない程に凄い。

 また強くなってきた雨音を聞きながら邸内の庭先を眺めていると自分が昔々の人になったような気がする。

 私の他に邸内を散策しているのは3人ほど。
 大観光地のように人が多過ぎない事が、またこの大邸宅には相応しいように思う。
 ノンビリ・ユッタリ・マッタリ、これが私には非常に心地良い。

 気が付くと雨も丁度上がったようだ。

 杉山家住宅を辞して歩き始める。
 富田林駅へ戻る。途中で喫茶店に入って、これまた久し振りにナポリタンを食べて昼食とする。

 富田林駅から河内長野駅へ向かう。

200906_21_53_e0161853_1820351.jpg
※編注:富田林の写真がないため、挿入写真はイメージです。
-------------------------------------------------------------
200906_21_53_e0161853_18215858.jpg
「良き街、良き人、寺内町」 その4・最終話

〜アケスケ大阪 アカラサマ京都、大人な大阪 子供の京都〜

 今、大阪の改革に全力投球の橋下知事は「富田林の寺内町は飛騨高山など目ではないくらいに素晴らしい観光地になる」と寺内町を観光地として整備する構想を持っているようだ。

 しかし一寸待ってほしいと思う。
 その考えの行き着く先が「観光地として売り出して儲けよう」というものならば私は断固反対である。

 今、多くの国で地域で観光の為に都市を整備したり売り出したりしている。無論、それは悪い事では無いとは思う。

 しかし中には、それが度が過ぎていると思える場所がある。
 アカラサマというか開き直っているというか、歴史ある都市でありながら、その街が本来持っている良さを潰してしまっている都市がある。
 もはや「テーマパーク」と化している町がある。

 それは日本で言えば京都であり、大阪であれば道頓堀界隈ではなかろうか。
 どちらも本来は本当に良い風情があった筈なのに、今やそんなものは風前の灯。
 どちらも「観光客が来てお金を落としてくれればいい」という開き直りと、「その為には、極端なまでに‘らしく’すればいい」というアカラサマという開き直りが支配した町。
 
 そんな町は本当の意味で人は親しんでくれるだろうか。
 何度も来たいと心から思ってくれるだろうか。
 少なくとも私は、そんな町に何度も行きたいとは思わない。
 そんなイミテーションのような町に本当の感動などありはしないからだ。

 富田林市の寺内町は、そんなイミテーションのような街にしてほしくない。

 整備するのなら、
・電柱、電線の地中化(これは景観向上と死角を無くす事による交通安全の向上の為)
・道路を、なるべくデコボコの少ない石畳とする
・近鉄 富田林駅への案内板を増やす(これが現状では少なすぎて不慣れな人には不安に思う事でなかろうか)
・近鉄 富田林駅の整備(現状では、少し施設・設備が前時代的に過ぎるのでは)

 これだけで良いのでは。
 知事自ら宣伝したりする必要も無い。
 来たい人だけ来てもらえば良い。わかる人だけに来てもらえば良い。
 来てもらった人が満足してもらえるような最低限の整備だけすれば良いのだと思う。

 何故なら寺内町は今も之からも人が住み続ける街だから。
 観光地化しすぎて大挙して人が押し寄せては住んでいる人達が大迷惑だろうから。
 行き過ぎた観光地としなくてもわかる人は来て、何かを感じてくれて、「大阪は凄い」と寺内町はその存在だけで訴え続けるだろうから。

-------------------------------------------------------------

改めて自分の書き込みを読んでみて少し言葉が足らない部分がありますので補足させて頂きます。

 私は富田林市の寺内町の観光地化に反対しているのではありません。

 ただ観光地化するにあたって「やり過ぎ」は良くないと思うのです。
 街並みそのものが観光地化されている例として、合掌造りで有名な「白川郷」が挙げられるかと思います。
 しかしながら、あまりに観光地として有名になったせいか合掌造りの家々の殆どが実際に地元の方々が住んでいるのですが、そんな事お構いなしの観光客の傍若無人な振る舞いが目に付き地元の方々が困っていると聞きます。
 曰く、「軒先に勝手に腰をおろしてしまう」「玄関を勝手に開けて入ろうとする」「注意すると逆ギレする」・・・。
 山間の狭い土地とは言え、合掌造りが程良い間隔で立ち並ぶ白川郷ですら、この有様です。

 富田林市の寺内町は昔ながらの街並みです。
 そこが大変に良いのですが、同時に道路は狭い。
 そして普段からの普通の生活の場でもあるわけです。

 そこに大挙して観光客が押し寄せたら風情も何もあったものではない。観光客によって普段の生活の場を壊されかねないと思うのです。
 生活されている方々と観光客との間で摩擦さえ生まれかねないと思うのです。それは大変に不幸な事ではないでしょうか。

 よって富田林市・寺内町は「控え目な」観光地とするべきではないでしょうか。
 そこに住む人々と観光客との「幸せな関係」の為にも。

 そして富田林市・寺内町を「控え目な」観光地とするべきと考える理由は、もう一つあります。それは段を改めて。

-------------------------------------------------------------

もう一つの理由は「観光地化された観光地は飽きられるのも早いのでは」という事です。

 今の時代、どの国でも観光に力を入れています。
 我が国も例外ではなく、ビジットジャパンキャンペーンなどを行って海外からの観光客の獲得に力を入れています。
 それ自体は否定しません。むしろ本当の日本を理解してもらう為には大変に良い事だと思います。

 しかし、ここで考えるのは「本当の日本を理解してもらう為の観光」として、ガイドブックに載っている有名な観光地が相応しいかという事なのです。

 大阪なら道頓堀界隈。どんな大阪観光のガイドブックにも大々的に載っています。
 しかし道頓堀界隈に来て、本当の大阪を日本を感じられるでしょうか。
 私は否だと思う。あそこは所謂「テーマパークのような作り物」ではないでしょうか。
 京都はどうでしょうか。確かに良い場所もある。
 でも京都観光に載っているような「はんなり」な「古都の風情」が感じられる場所が京都にどれだけあるでしょうか。
 もはや京都もイメージに塗り固められた「テーマパークのような作り物」と成り下がりつつあるように思えてならないのです。

 そのような「テーマパークのような作り物」のような観光地に何度もリピーターが来るだろうか。本当に目の肥えた観光客を満足させられるだろうか。
 恐らく観光ガイドブックに載っている観光地に辟易している観光客だって多いはず。
 そして本当の日本を理解してもらえるだろうかと思うのです。

 富田林市・寺内町は、昔からの街並みと建物が多く残り、そこで普段の生活が普通に営まれている場所です。

 つまり「本当の日本」の姿の一つがある。
 そして、それはイメージ優先でもなく作り物でもなく「本当の街」なのです。
 そして何より目の肥えた観光客を満足させるだけの力量がある。
 
 「道頓堀界隈」や「京都」が子供っぽい「ねえねえ見て見て、僕って良い観光地でしょ」というのではなく、『特に宣伝はしません。駅は整備しておきます。ふらっと来て頂いても問題ないように駅までの案内板はしっかり整備しておきますから安心して下さい。ですから来られる方だけ来て下さいな。何時でもゆっくり歩けるようにしてありますから。』という大人な『富田林市・寺内町』で良いのだと思うのです。



posted by 松村和弘 at 16:59| Comment(0) | 上阪感想記13 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。