2010年05月04日

「大阪都構想」所感!

大阪都構想が正式に発表されたのは3月24日だった。報道は3月25日、大阪維新の会の構想案である。
あれから、一か月あまりが経過した。その後の私の所感である。

このニュースは大阪から近畿・全国を駆け巡ったことだろう。橋下知事は民放テレビ出演でかなり突っ込んだ詳しい説明をしている。
焦点になる大阪都の「都」の名称は地方自治法上、何ら制約がないこと。特別区は都でないと設置できないとされるので、大阪都構想となったこと。
それらを踏まえ熟慮したうえでの発表のようである。橋下知事は「人生最大の大勝負」と本気以上である。
そうはいっても、広く全国では報道が行き届かない。知っても冗談半分くらいにしか思ってないのかもしれない。政府は静観である。

そもそも、東京も首都でありながら、かつては大阪と同じ東京府であった。府の意味は都と同じみやこを意味する。
府は別格ということなのだが、戦後、東京だけが都になったことで国民すべてが感違いし、東京の傲慢が加速した。府も十分首都たりえたのだった。

大阪都構想。よくよく考えてみると、これは誰も止めることはできない。
日本が衰退に向かうとき、どうしても日本は立て直しを迫られている。橋下知事は大阪の問題だけでなく、これは国家戦略とも位置付けている。
日本は「東京だけでは発展しません!」と、大阪をエンジンの一つにして「ツインエンジンで日本を引っ張る」と。誰もが考えることだが、誰もいえなかった言葉といえる。

今のところ、大阪市の平松市長の反発が最も難関になっている。なにせ政令市でも大阪市はとくに規模からして、府県以上の権限を持つ。
でも、悟りが行き渡るのにそんなに時間はかからないだろう。
すべての判断は府民にゆだねられているが、大阪都に対し反発があればあるほど、府民の心は橋下知事に傾くだろう。

これは凄いことだ。真善美の帝王だ!
「真実の善政」といえる。だから誰も止められない。政府といえども止めることはできない。これに反対することは日本に反逆することになる。日本最初の首都は1700年前の仁徳天皇の難波高津宮である。
仁徳天皇は不景気では税を免除し、堀江の開削や大阪平野の開発をしたとされる。
まさしく、橋下徹こそ仁徳天皇の再来といえる。住民にやさしいのが仁徳天皇といえた。もう国民は霞が関の傲慢政治には辟易している。嘘で塗り固められたメッキは剥げつつある。
もし、府民の支持が得られなくて、大阪都が実現しなかったら・・・
橋下知事はいさぎよく退陣するだろう。そして二度と府民の前に姿を現すことはないだろう。

もう一度、テレビでの発言をじっくり聴いてほしい。
真善美の帝王の言葉を!





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posted by 松村和弘 at 13:22| Comment(0) | 大阪都構想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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