2010年05月07日

08年雨に煙る大阪もまた良し【公営公共交通U】

「公営公共交通を‘バス’から考える」
〜ここでも‘大阪’と‘京都’は対照的〜

●京都編 その1

 大阪市交バスの運転手さんの非常に素晴らしい対応に感心した翌日。
 阪急今津線で西宮北口駅まで来た私は、阪急神戸線の梅田行きの急行で梅田まで。ここで阪急京都線・河原町行きの特急に乗車。
 阪急6300系の素晴らしい乗り心地に、これまた睡魔が襲い暫しの間記憶が途切れる。気がついたら京都の地下線を走っていた。

 河原町で下車。次に目指すは京阪出町柳駅。ここから京橋駅まで行く事にする。

 で、河原町駅から出町柳駅までは京都市交のバスで行く事になる。
 河原町駅でバス乗り場を確認。大通り沿いの7番だか8番乗り場であった(スイマセン、記憶が少し曖昧になっています)。

 河原町駅から地上に出ると外は相変わらずの大雨。
 
 バス乗り場で待つ事、数分。緑色で濃淡に塗り分けられた京都市交のバスが来た。3号系統のバス。車内は空いている。

 一番前のタイヤハウスの上に有る一段高い位置の席に腰を下ろす。眺めの良い席である。
 しばらく乗っているが行けども行けどもバスは出町柳駅に着かない。
 「あれっ、バスを間違えたかな」と不安になって運転席の真後ろにある路線図(つまり私の席と通路を挟んだ真横の席の前にあり、その席にはおばさんが座っていた)を確認しようと席を降りて、路線図を覗き込んだ。

 バスは次の停留所「‘府’立病院前」に到着する前で、車内アナウンスが「次は府立病院前、府立病院前」と流れた。

 その時、路線図を覗き込んだ私に座っていたおばさんが尋ねてきた。
 
   「次に停まるのは‘市’立病院ですか」と。

 私は「いえ停まるのは‘府’立病院のようですが」とこたえた。

 それを聞いたおばさんは、バスが‘府’立病院前停留所に停車する直前に運転手さんに「次は‘市’立病院ですか」と再度確認する。

 すると運転手さんは義務的な声で「いえ、次は‘府’立病院前です」と答える。そして次に出てきた言葉に私は驚いた。

「いやあ、さっき‘府立病院に行きますか’とアナタが聞くから私はこのバスですと答えたんですよ。市立病院ならこのバスと違いますね」

------------------------------------------------------------

私は唖然とした。そんな筈が無かろう。
 どこの世に自分が「府立病院」へ行きたいのに「市立病院」へのバスを聞く人間が居ようか。居はしない。

 府立病院の‘府立・フリツ’という言葉と‘市立・イチリツ’という言葉は言い間違えようもないし、聞き間違いようもない言葉でさえある。
 
 何より曲りなりにも京都市で市内交通の重責を担う京都市交のバスの運転手なら、「府立病院」と「市立病院」の二つが有る事は知っていなければならないのでは。
 この運転手は知らないから「このおばさんが行きたいのは‘市立病院なのか’それとも‘府立病院’なのか、念の為に確認しよう」というプロの運転手なら当然の事が出来なかったのではないだろうか。
 いやもっとハッキリ言ってしまえば「やさしさ」が無いのでは。
 この運転手は若く、おばさんの子供ぐらいの年頃であった。
 普通なら自分の母親ぐらいの人には優しく接するものではないだろうか。

 優しさが無いから

「いやあ、さっき‘府立病院に行きますか’とアナタが聞くから私はこのバスですと答えたんですよ。市立病院ならこのバスと違いますね」

 と、いう言葉が最初に出てしまうのではないだろうか。
 普通なら謝罪の言葉や、最初に自らの非を認める言葉が出てくるものではないだろうか。

 結局、この運転手はバスの乗り換えの案内こそはしはしたが最後まで自らプロとしてお客様にしっかりとした案内が出来なかった事を恥じるような言葉も素振りも出なかった。

-------------------------------------------------------------

1197160329_1.jpg

「公営公共交通を‘バス’から考える」
〜ここでも‘大阪’と‘京都’は対照的〜

●京都編 その2

 私は考えてしまう。大阪と京都の差に。
 同じ公営公共交通である市バスの運転手で、ここまでレベルの差、思い遣りの気持ちの差を見てしまうと、どういう事なのだろうと考えてしまうのだ。

 これは極一部の事だと思いたいのだが、過去の大阪市交と京都市交のバスの乗車体験からすると、とても極一部の事とも思えないのだ。

 私が思うにこの差は大阪と京都の都市としての歴史の差、規模の圧倒的な差が歴然と表れてきているのではないだろうか。

 歴史が長ければ人の付き合いの経験値の集積量は多くなる。
 規模が大きければ人付き合いも多種多様なものとなって多様な経験則が都市に集積される事になる。

 大阪は都市としての経験が優しさが感じられるのだと思うのだ。



「都市の景観と躍動」トップに戻る

posted by 松村和弘 at 15:03| Comment(0) | 上阪感想記15 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。