2010年06月21日

07年冬クリスマス・幸せな灯りが灯る大阪へ【彩都リベンジ】

リベンジ成る、彩都を訪ねる事が出来ました。
〜大阪モノレールの全線乗り潰しも出来ました@〜

 24日(月)、予定では午前中に大阪を離れるはずだったのが、その必要がなくなり「さぁて、どうするか」と考えた時に頭に浮かんだのが、7月に大阪へ来た時に見学しようとしたが台風による風雨があまりにも強く断念した彩都の事。
 街歩きの時に邪魔になるキャリーバックを大阪国際空港へ預けて、その足で向かえば無理なく効率的に彩都へ行けるだろう。
 よしっ、決めたとホテルを飛び出す。

 谷町四丁目駅から地下鉄・谷町線に乗り、向かうは阿部野橋。
 ここから10時30分発の大阪国際空港行きのリムジンバスに乗車。
 堂島川の上の阪神高速1号環状線の高架橋から見える絶景な大阪・中之島の眺めを楽しむ。定刻通りに大阪国際空港へ到着。

 空港内のコインロッカーにキャリーバックを預けて、さぁ彩都へ向かおう。
 南ターミナルから大阪モノレール・大阪空港駅までは、結構な距離を歩く事になるのだが、健常者ならともかく、障害がある人にはキツイだろうと思う。
 動く歩道の整備を求めたいと思う。

 モノレールに乗車すると席は、八割方埋まっていた。
 出発して大きくカーブして最初の駅が蛍池。ここを出て、さらに右側に大きくカーブすると中国自動車道と中央環状線の上に出る。
 モノレールの上から見ると、中国道は片側二車線・中央環状線は片側三車線である事がわかる。両方とも車の通行料が多い事がわかる。
 
 途中から進行方向右側に超高層ビルが連なっているのが見えてきた。
 これだけ超高層ビルが連なっている光景が見えるのは大阪と東京だけだ。
 
 柴原駅、少路駅と過ぎると千里中駅である。
 この駅の少し手前で、中国道・中央環状線と新御堂筋が交差する上を通る。
 初めて、この交差を見ると大規模なジャンクションであるが中国道とは直接的に接続していない事がわかった。
 出来れば中国道と新御堂筋と直接繋げたいものだが、今となっては建設用地の確保さえ困難かと思う。道路計画は最初が肝心という見本と言えようか。

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 千里中央駅へ進入する前に左に視線を移せば、千里の連なる建物が見える。
 ここまで来るまで右の車窓、左の車窓に見え続けたのが途切れない緑と建物。大阪市内も建物が切れ間無く続いているが大阪市の郊外でも、同じように建物が続いている事は、大阪市の求心力が高い事の証左ではないだろうか。

 山田駅を過ぎて、次は万博記念公園駅である。
 ここで大阪モノレール彩都線へ乗り換える。彩都線の次の電車は約10分後に出るとの事で、一旦駅の外に出る。
 本来であればエキスポランドへ向かう楽しそうな家族連れで賑わうのだろうが、シーンと駅前は静まり返っている。
 それもそのはずエキスポランドが今年五月の事故の影響から抜け出せず、休園しているのだから。
 人気のしない遊園地ほど寂寥感を誘うものあるまい。
 何とか現経営陣を一新して体制を立て直して営業を再開してほしいと思う。
 やはり子供達が楽しめる遊園地は必要だし、遊園地で遊んだ子供の頃の記憶は大事なものだと思うのだ。

 駅に戻って、彩都西行きのモノレールに乗る。ほどなく出発する。

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リベンジ成る、彩都を訪ねる事が出来ました。
〜大阪モノレールの全線乗り潰しも出来ましたA〜

 万博公園駅を出発した彩都西行きのモノレールからは左側に「太陽の塔」が見えてきた。

 1970年(昭和45年)「人類の進歩と調和」の理念を掲げ、ここ千里丘で開催された大阪万博。

 万博史上、最高の入場者数を誇った大阪万博。
 万博史上、もっとも崇高な理念を掲げた大阪万博。

 今こそ「人類の進歩と調和」が必要なのではないかと思う。
 人類は「進歩」する事で、あらゆる貧困から多くの国が多くの人が抜け出す必要があるでは。
 人類は「調和」する事で、環境と経済の両立を図る必要があるのでは。

 今から38年前、イケイケドンドンの経済的活況を享受していた日本で、「人類の進歩と調和」という理念を、21世紀に求められる理念を掲げる事が出来たのは驚きだし、その理念は、また大阪だからこそ出来たのではと思うのだ。
 
 古来より栄えて海外と繋がっていた大阪だからこそ、視野が広くなったのではないか。
 古来より海外からの万物を受け入れてきた大阪だからこそ、より良いものを自らに合わせる為の創意工夫・調和が発展したのではないか。
 そして、その調和が進歩に繋がったのではないだろうか。

 ・・・この太陽の塔を見ていると、そんな気持ちになる。

 そして、もう一つ感慨が浮かぶ。
 それは大阪万博を私の父は見ているのだ。
 私が生まれる三年前。私の父は確かに、ここに来ている。
 今は落ち着いた広大な公園となっている、この場所にかつて最大で一日に約83万人もの人が来ていた。
 開催期間中に大阪万博に来た人、約6,300万人。
 その中の一人は間違いなく私の父である。
 そこに不思議な因縁、不思議な時の流れを感じる。
 あと何十年間経ったら私の子供が、この場所に来るのだろうか。
 同じような光景を見るのだろうか。
 いや見にきてほしい。絶対に。その時にも大阪は必ず快く迎えてくれるだろうから。その時にも大阪は必ず大都会として君臨し続けているだろうから。




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posted by 松村和弘 at 21:56| Comment(0) | 上阪感想記17 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月20日

07年冬クリスマス・幸せな灯りが灯る大阪へ【大阪海洋博物館】

グッドモーニング オオサカ!!こんにちは大阪の皆さん!!!
〜主章その参 なにわの海の時空館は面白い素晴らしい その@〜
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 WTCを出た忘年会の有志メンバーは、歩いて「大阪市立海洋博物館・なにわの海の時空館」を目指した。
 この「なにわの海の時空館」は2000年に大阪市が完成させた、大阪と海との歴史の関わり等が見れる海洋博物館である。

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 正直な話、あまり期待はしてはいなかった。
 某掲示板では散々に「つまらない」「面白くない」等、貶されているのを見ていたし、東京10チャンネル・テレビ朝日の番組で、お笑い芸人のますだおかだが取材に行って、これまた散々に貶す内容でのリポートも見ていたし・・・。
 ただ、ますだおかだがリポートしている時に何だか複雑な顔をしていたのが気にはなっていたのですが・・・。

 WTCを出て歩いて向かう途中、「おおさかフードアウトレット」という飲食店街の前を通って行った。
 名前の通り、各種飲食物をリーズナブルな値段で提供するようだが、残念ながら、まったくと言っていいほどにお客さんの姿が見えない。
 「大丈夫だろうか・・・」というのが皆の共通した意見。

 考えてみれば、WTCやATCの中には飲食店が沢山あるわけで、WTCやATCの外に出てまで飲食店へ行く事は、そんなにはないはず。
 恐らく「なにわの海の時空館」へ行く人や近くの物流施設で働く人などもターゲットにはしているのだろうが、そういった人の数は多くはないと思われ、今ひとつターゲットにした顧客層が見えない。
 かなり厳しい状況に追い込まれていると思わざるを得ない。

 歩く事、約10分。
 目的の「なにわの海の時空館」へ到着した。
 エントランスがある建物は、広がりのあるデザインでなかなかに格好が良い。入るとチケット売場があり、大人は一人600円也。
 入館料を払うと、寛永通宝のような形をした入館ゲートを通過する時に使うコインを貰う。
 なかなかに良く出来ていて、お土産に欲しいが残念ながら買い求める事は出来ないとの事。


大阪at Naightブログの記事から「なにわの海の時空館

 
 ゲートを過ぎるとエレベーターに乗って下りる。
 エレベーターを降りると、目の前に宮崎アニメ・天空の城ラピュタに出てくる空中戦艦のようなモニュメントが迎えてくれた。
 左へ向かうと「なにわの海の時空館」へ向かう海底トンネルがある。
 この博物館はエントランスが地上にあり、博物館本体は海の上に浮かんでいて海底のトンネルで結ばれているのだ。
 このトンネル、青い照明で綺麗に彩られており、その照明の具合が何となくJR難波駅から南海や地下鉄の難波駅へ向かう連絡通路に似ている。
 海底トンネルを歩いて行くと、トンネル上部に海の様子がわかる覗き窓がある。タイミング良く何匹もの魚が泳いでいる姿を見る事が出来た。

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グッドモーニング オオサカ!!こんにちは大阪の皆さん!!!
〜主章その参 なにわの海の時空館は面白い素晴らしい そのA〜

 トンネルを歩き終わると、大きな船の船底が見える。
 これが、この博物館の目玉である和船・菱垣廻船「浪華丸」である。
 
 この「浪華丸」、大阪市が約10億円ほどをかけて当時の図面に基づき、当時の風習を出来るだけなぞって建造。
 実際に海上を航行したという凄い船なのだ。
 その模様も映像で見ることができ、それを見ると圧倒されます。
 とにかく実際に目にするとデカイ。そして実に良く出来ている。
 当時の日本の技術の粋を集めた船だけに随所に工夫が見られる。

 また船底から上部までを表から見られるように工夫されており、船内を見る事も出来る。
 船内を見学する時にガイド役が説明してくれるのだが、このガイド役の方が当時の風俗に則った衣装をしており、頭には丁髷・服装は着物という徹底振り。そして特筆すべきは、そのガイドぶりで説明口調ではなく自然に聞える話し方。突然の質問にも、まったく淀みなく応えるというサービス精神の高さ。
久しぶりにプロのガイド役に出会いました。

そのガイドさんから聞いた話を箇条書きでまとめます。
( )は私の個人的な意見です。
・大坂と江戸を最短2日間、最長でも2カ月で結んだ。
・綿や醤油・酒などは時間がかかってもよいものは問題は無い。
・船は荷物優先で設計され船員の為のスペースは最小限である。船員数は大体 15名ぐらい。
 (本当に生活空間は狭く、今の言葉で言えば「劣悪」である)
・積み込める荷物は最大で150トンほど。
 (たとえ大坂と江戸の間を海路で2カ月かかっても船員15名で150トンもの物資を運ぶ事を考えれば、陸路で150トンの物資を運ぶ事を考えれば、恐ろしく効率が高いと言えるのでは。)
・船内には神棚と仏壇が共存しており、当時の航海技術では沿岸部分を航行するにしても非常に危険が高く、海難を避ける為には神も仏も頼る気持ちがあった。
 (だから宗教戦争などは、本当に命の危険を感じながら生活をしていない人間のエゴイズムに過ぎないのでは)

他にも江戸時代の大坂の地図(これを見ると住吉大社の直ぐ傍までが海であり、住吉大社が海の神様を奉っている事が理解出来る)、大坂あにあった広島藩の藩屋敷の構造(これを見ると直接、船で乗り着ける事が出来るようになっている事がわかる)、江戸時代の大坂には日本中のありとあらゆる物資が陸路・海路を通じて集まっていて「天下の台所」であった事がわかる。
 
 他にも見所が沢山あって書ききれませんので、ここで終わりにしますが、大阪の方々は勿論の事、船に興味のある方、江戸時代の物流に興味のある方など沢山の人達に楽しんでもらえる博物館だと思います。
 帰りに皆、口々に「楽しかった」「想像以上だった」という言葉が出てきて大満足でした。

 そうそう冒頭に書いた、ますだおかだが複雑な顔をしていたのは、実は楽しいのに、レポートでは「無駄だ」とか「意味が無い」とか言わされるのが、嫌で嫌でしょうがなかったのでは。
 テレビのレポートは信用ならん、特に東京のテレビ局が大阪について取り上げたものについては、と確信した事も収穫でした。




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posted by 松村和弘 at 16:06| Comment(0) | 上阪感想記17 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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